着物の種類
どの種類も形がほぼ同じ着物は、その柄や紋の数で、格式が決められています。
基本的な知識を踏まえているとTPOに合わせた着物を選ぶことができます。
黒留袖
黒留袖とは、黒地に裾だけに柄があり、染め抜きの紋で、五つ紋になります。
紋は、背中・袖の後(2つ)、胸(2つ)に入ります。
関東では、昭和45年頃まで、「江戸褄」と呼んでいました。
「留袖」という名称は、振袖の長い袂(たもと)を切り、脇をつめる、つまり「袖を詰めた」着物という意味があります。
また婚家に留まるという意味もあるといわれております。
黒留袖の裾の模様は、「松竹梅」や「鶴・亀」などの祝い柄である吉祥文様が主流です。
仕立ては、「比翼仕立て」と呼ばれ、以前は、襦袢を着るのではなく白羽二重の下着を着ていましたが、現在では着易くするために衿や裾だけを二枚重ねたように仕立てています。
色留袖
地色が黒以外の留袖をいいます。
黒留袖と同格の祝儀用の着物です。
柄も格調高い裾模様が使われています。
色留袖は、既婚・未婚女性どちらでも着用できます。
紋は、正式には、五つ紋が付けられますが、一般的には略式の三つ紋を付けられる方が多いです。
一つ紋の場合には、訪問着と同格とみなされます。
ただし、五つ紋・三つ紋の場合には、比翼仕立てになりますが、一つ紋の場合には、比翼は付けません。
(最近は、三つ紋・一つ紋ともに比翼をつけずに白の伊達重ねをお付けになる方もいらっしゃいます。)
訪問着
訪問着とは、白生地のうちに仮縫いをして、模様師さんが一点一点下絵を描き、そこから幾つもの工程を経て染められた絵羽模様の着物を総称して呼んでいます。
呼び名のように訪問用に着る、略世紀礼装からおしゃれ着まで、その着物の持ち味により、取り合わせ方により、広範囲に着られます。
あまり約束事がありませんから、ご自身のお好みや個性を持った選び方ができます。
付下げ
付下げは、訪問着と小紋の中間の性格を持っていて、小紋と同様に型紙によって染められ、その染め技法は、同一柄を大量生産するものを言います。
模様の配置は、1反の端からずっと型紙を順送りにおくのではなく、肩山、袖山、上前衽(おくみ)などの裁つ位置に合わせて、模様の向きが仕立てあがったとき、下向きにならないようになっています。
模様の配置から、次の2種類に分けられます。
・絵羽付下げ→「付下げ訪問着」とも呼ばれています。
実際は、絵羽ではないのですが、上前衽と上前身頃の柄が配置よく染まっていて、金彩加工や刺しゅうを施したものが有り、一見訪問着のように見える着物をいいます。
・付下げ小紋→裾から肩山に向けて、袖下から袖山に向けて、模様が全て上向きに染められた小紋をいいます。
色無地
色無地とは、黒以外で一色無地染めの着物のことをいいます。
紋を付けると慶弔両用の準礼装になります。
色無地は、模様が入っている着物とは違って、用途によって着分ける事ができる利用範囲の広い、とても重宝な一色染めの着物です。
小紋
小紋とは、染め柄の名称であり、文字の示すように小さい紋様を、布地いっぱいに型染めしたもののことです。
型染めとは、型紙を用いて絵柄を染めることで、型友禅、江戸小紋、紅型などの伝統的なものから、現代的なものまで多種類あります。
結婚式の二次会や気軽なパーティー、観劇や友達とお食事など、利用範囲の広い着物です。
・型友禅→友禅染めの一つで、型紙と写し糊を用いて染める多色染めの着物です。
多色を使って華やかな柄を染めるのですが、型紙は一色に一枚を要し、色によって型紙を何度も取り替え、下の柄に合わせなければならないので、熟練を要します。
・江戸小紋→本来は、小紋といえば江戸小紋を指していました。
江戸時代に武家の公服として裃(かみしも)の模様に用いられ、江戸参勤の各大名が自藩の紋様を定めて留柄を作らせるなどしたことによって発展しました。
柄は極小の一色染めの模様。
主な小紋柄には、鮫、角通し、霰などがあります。
細かい柄ほど格調があり、鮫・行儀・角通し、万筋、千筋などは、一つ紋付きにして略礼装に用いられます。
(江戸小紋の名称は、昭和の後半に現代的で多彩な型染めが出てきたために、それと区別する言葉として用いられるようになりました。)
紬
紬とは、絹織物の一種で、糸を先に染めてから反物に織り上げて作ります。
経糸(たていと)、緯糸(よこいと)とも真綿から紡いだ紬糸を用い、経糸と緯糸に柄に合わせた色染め、色の組み合わせによって縞や格子、また絣などの柄を織り出すことができます。
喪服
本来は喪に服している者が着する着物の意味です。
不祝儀における正装。
奈良時代には「素服」という質素な白い服を近親者は着用しており、日本の喪服の色は、かつては白でした。
死装束と同色であり、遺族は死者と同じ状態で葬儀が行われていたのです。
明治30年代に皇室の葬儀の折りに欧化政策の影響で欧米の喪の色である黒が喪の色とされ、大正期以降に黒が普及しました。
戦前の弔問者はむしろ正装し、喪服を纏いませんでした。
弔問者までが喪服を着用するようになったのは1960年代以降のこと。
黒服が礼服と認識され、これに白ネクタイが慶事の礼服、黒ネクタイが弔事の礼服という形が定着したことによります。
喪服の紋は実家か婚家のどちらかの紋を付けます。
どちらをつけるかはその地域の習慣によりますが、一般的にどちらの家が購入したかによって紋が決まります。